こんにちは。
最近プライベートで満たされることが多く、ありがたみを噛みしめているぶきっちょです。
(まあ、ニートだからプライベートしかないんだけどね!)
今年も、もう12月。
思い返せば、去年の今頃の私は人生に悩み苦しむ会社員だった。
他人の笑い声が聞こえてきたら、イライラ。
日々増していく、先が見えない絶望感。
ずっと付きまとう、孤独と不安。
それらを拭うこともできず、誰もいない暗い海の真ん中に取り残されているような無力感、自分自身に価値を感じられない状態が続いていた。
そんな私を救ってくれたのは、友人の「十分頑張ったんだから、休みなよ」という言葉だった。
あのタイミングであのやり取りがなかったら、私の人生はまったく違うものになっていたかもしれない。
そのおかげで、最近すごく実感できている「何もしてない毎日のおもしろさ」。
今回は、そのおもしろさを感じるためにやっていること、について書いていこうと思う。
「何々しなきゃ」を捨てて残ったもの
「こうあるべきだ」と考えて自分を追い詰めてしまう人は、結構いるのではないだろうか。
私も昔から、「~しなきゃ」「~すべきだ」という言葉を自分に対して使いがちだ。
たとえば学生の頃だったら、
「テストで良い点を取るためには、今から勉強するべきだ」
「もっと真面目にやらなきゃ」
社会人となってからも、
「生産性のあることをしなきゃ」
「ダラダラしてないで、もっとちゃんとすべきだ」
と考えていた。
この考え方は、別に悪いわけではない。
自分を向上させていくことができるし、それによって楽しみが広がることは事実だ。
でも、追い詰めるまでいってしまうと、話は別。
私の場合は、
「生産性のあることをしなきゃ!」
↓
漫画を読んだり寝てしまったりして、思うようにいかない自分を認識
↓
自己嫌悪
↓
「もうダメだ…」
↓
自分に自信がなくなり、漫画を読んだり寝てしまったりして(略)
↓
以下、ループ
このように、負の連鎖が始まってしまうのだ。
だから、これをやめてみた。
具体的には、考え自体は変わらないので、言い方を変えてみた。
「生産性のあることをしなきゃ」→「生産性のあることをしよう」
「ダラダラしてないで、もっとちゃんとすべきだ」→「ダラダラするのやめよう」
「~しなきゃ」「~べき」を、「~しよう」に言い換えて考えることにしたのだ。
そうすると、「これをしないといけないのに!」という焦りは薄くなり、単純に「やってみよう!」というお試し気分でチャレンジできる。
もしできなくてもそこまで凹まないし、できたら嬉しい!という感覚である。
大切にしたいのは、人とのつながり
人とのつながりは、私が人生の中でもっとも大切にしたいと思っていることだ。
先ほど書いた「~しなきゃ」をやめることができたのも、仲良くしてくれている友人の影響だし、周りの人が自分に与えてくれることというのは、数えきれないほどある。
だから、知り合ってくれた人とはしっかり向き合っていきたいし、交わした約束は可能な限り守っていきたいと思う。
仕事もしていないし、すごく前向きな展望があるわけでもない今の状態であっても、人と会って話すだけで色んなものが得られる。
ひとりで家にいるときも、人とした話を思い出して笑ってしまったり、楽しくなったりする。
本当になんでもないことだけど、そういうことが嬉しいと感じているし、それを楽しいと感じられる現状にも感謝したいと思う。
小さな愛おしさを見つけられる本:「今日の人生」
先日、素敵な本と出会ったので紹介しておきたい。
1人で旅に出たり、母と散歩したり、突然むなしさを感じたり、おいしいものを食べたり、昔を思い出したり。
著者の益田ミリさんの感性が詰まった、コミックエッセイだ。
パン屋さんでパンを買っただけで「人生は美しい」と感じるときもあれば、
電車に揺られていて「虚しい」と感じるときがあったり、
レジの店員さんとの他愛ないやり取りの中で「ふふっ」と思ったり、
人間って、複雑だけど単純なんだよな、とほっこり思える本。
人生単位で物事を見続けると疲れるけど、「今日の人生」の積み重ねだと思えば、より毎日を大切に生きていけそうな気がする。
まとめ
今年もあと半月。
新しい生き方を始めて約1年。
まだまだ悩みや心配は尽きないけれど、1日1日を大事にしていきたいなと感じている。