こんにちは、ぶきっちょです。
この記事は「アラサー女が会社を辞めて無職になるまでシリーズ」の第4弾です。第一弾はこちらから。
さて、カナダ留学(アラサー女が会社を辞めて無職になるまで③【留学編】)を経て、無事に日本に帰国した私。
視野も広がり、自分が信じ込んでいた常識が常識ではないと肌で感じ、精神的に無敵状態になった私は、「すぐにでも転職して、やりたいことをやるぞ」と考えていた。
カナダでは翻訳学校に通って勉強をしていたので、翻訳関係の会社に就職し、ゆくゆくは独立してフリーランスで世界を旅しながら生きようかなフフフ、なんて思っていた。
が、しかし。
たった1年の間に植え付けられた新たな感覚は、予想以上に脆かった。
元の会社で再スタート
実際に元いた会社で再び働き始めると、「今から新しい仕事を始めるなんて大変なのでは」「ほかに居場所なんてないのではないか」「辞めたら後悔するのではないか」と言う思いが沸々と湧き上がってきたのだ。
仕事は相変わらず面白くないし興味も湧かない。でも、それが当たり前、といった顔でみんなが働いている。
うーんこのままじゃいかん。
とりあえず働きながら転職活動をしよう、と思って興味のある会社を受けても、
面接官「(待遇・安定性の面で)本当に今の会社を辞めてうちに来たいんですか?」
なんて聞かれたりもした。
退職の意を課長に伝え、なんと翌日撤回する
すでに、カナダから帰国して4ヶ月ほど経っていた。
「辞めないと進めない」そう思い立った私は、湧き上がる焦燥感に耐えられず、勢いのまま課長席に行き「相談があります」と言って退職の意を伝えた。
引き止められたが「ここで止まったら元に戻ってしまう」と思い、「もう決めたんです(キリッ」と拒否。「今日はもう遅いから、明日に手続きを始めるよ」という課長の言葉をもらい、私はその日帰路についた。
その頃実家暮らしだった私は、そのまま両親に辞める話をしてきたことを報告。
すると…
「なんて軽率なことを…。撤回してきなさい」
と言われる。
そして、翌日撤回したのだった。(おい)
20代半ばといういい歳の女が、親の言うことに何を振り回されているのだ、と思うだろう。私もそう思う。でも結局撤回したのは私なので、今思うと自分でも相当不安だったのだと思う。
そして、今後辞めるときは、実家から出て一人暮らしをしている状態で、不安を最小限にできるよう周りを固めておく(納得のいく再就職先を見つけておく)ようにしよう、と考えを改めたのだった。
それから約2年半後、病む
退職撤回事件以降は、実家を出てシェアハウスに住み、「自分が本当にやりたいことは何か」というのをひたすら模索し、面白そうなイベントに参加したり麻雀スクールで週末働いたり、ゲストハウスのお手伝いをしたり等とにかく色々と動いた。
あれやこれやと動いているうちにあっという間に2年半が過ぎ、それでも消えぬ焦燥感と虚無感とやりきれなさがピークに達したのか、
病んだ。
それはもう、病んだ。
会社に行って仕事をしても、途中で息ができない&吐きそうになってトイレに駆け込む日々(実際には吐けない)。
心配した先輩が温かい飲み物を持ってきてくれたりして、その優しさに泣きながらも消えない無力感。
メンタルクリニックにも行ったが、薬をくれるだけで特に親身に話を聞いてくれるわけでもなく、少しずつ症状は悪化していった。
忘れもしない2016年12月。気分が沈みすぎてシェアハウスで開かれていたクリスマス会への参加も断り、いよいよもうこれ以上やっていくのが厳しいと思う精神状態で私は部屋にいた。
焦ることにも、不安に思うことにも、それらを抱えて頑張ることにも、もう疲れていた。
すがる思いでかけた電話
詳細は割愛するが、それから散々泣いた後。
自分ひとりではもう何も考えられない。助けて欲しい。そう思った私は友人に電話をかけた。
友人の声に少しだけ安堵感を覚えながら、とにかく現状の苦しみを吐き出した。
解決する術は、もう生きることを止めるしかないと思い込んでいた。たしかそのことも話した。
散々話を聞いた後、私が少し落ち着いたところを見計らい、友人は言った。
「今ぶきっちょは、冷静に物事を決断できる状態ではないから、まずは休むことが必要」
その言葉で、「もう選択肢は1つしかない」と思い込んでいた私に別の選択肢ができた。
「1ヶ月でも2ヶ月でもいいから、会社を休んでまずはゆっくりして。どうするか決めるのはそのあとでいい」という選択肢。
大げさでなく、このときの彼の言葉のおかげで、今の私がある。
休職からの退職
それからクリニックで診断書をもらい、休職の手続きはすぐにできた。
そのあと3ヶ月休職し、結局そのまま退職をしたのだった。
カナダ留学をして「辞めるぞ」と思ってから、約3年後のことだ。辞めたいともがき、でも何がやりたいのかわからず、動き続け、焦り続けて最終的に無気力になったこの3年間。でもこの3年間で考えたこと、向き合えたものは多く、大切にしたいことが少しずつ見えてきたのは確かだ。
休職した後の話は、「ニート生活」カテゴリーに書いてあるのでよかったら読んでほしい。(我ながら、色々動いたなあ。下記は抜粋記事。)
・「人生を半分あきらめて生きる」で心が軽くなった話
・休職中のアラサー女が『ニート祭り』に参加したら、意外にも働きたくなった話
・4月からニートになるから、東京を脱出して田舎に行くことにしたよ