「ホームレスは自業自得」と思っている人が許せない

都心でよく見かけるホームレス。駅でゴミを漁る人、路上の隅で段ボールを敷いて寝てる人。空き缶をたくさん袋に詰めて歩く人。

あなたはそれを見て何を思うだろうか。

私の知り合いに、「あれは自業自得だよ」と吐き捨てる人がいた。

思わず私が、「自分が同じ状況になってもそう言える?」と聞くと、彼女は平然と「うん」と答えるのだった。

 

ホームレスとは

辞書を引くと、『住む家を持たない人。公園や駅・地下道などに住み着いている人。浮浪者。(デジタル大辞泉より)』とある。

名前の通り、家がない人のことだ。東京だと、池袋や新宿、渋谷、上野などあちこちで見かける。

公園に住んでいる人が多く、段ボールハウスが建っているのもよく見る光景だ。

彼らは主に、空き缶拾いや、捨てられた漫画雑誌を売ることなどで生計を立てている。

 

なぜホームレスになるのか?

原因は人それぞれだ。

健康を害して働けなくなった人。

派遣切りに遭った人。

借金が返せなくなった人。

身寄りがなく仕事も見つけられない人。

もちろん中には、働きたくなくて仕事を辞め、それが原因でホームレスになってしまった人もいるだろう。

だがここで声を大にして言いたいのは、「好き好んで危険で辛い生活を営む者などいない」ということだ。

彼らがホームレスになった原因が他者にあろうが本人にあろうが、それによって彼らが今「苦しんで」おり、「人としての権利が守られない」ということが当然のように思われるのは間違いである。

 

明日は我が身、と考える人も

ホームレスを見て、「自分もいつああなるかわからない」と考える人もいる。

そういう人は、ホームレスの現状が「自業自得」だとはあまり考えておらず、経済の状況や家庭環境など外的要因によっていつ自分の生活基盤も崩れるかわからない、という不安を抱えているのかもしれない。

それでは、なぜ私の知人は、「ホームレスが自業自得だ」と言うのだろうか。

私なりに考えてみたところ、3つの可能性が浮かんだ。

ホームレスを違う世界の人と見ている

自分とは最初から何もかも状況の違う、遠い存在として認識しているため、彼らのリアルな背景を想像できないのではないだろうか。

②頑張れば道は開ける、とひたすら考えている

環境や状況にかかわらず、「できない人は、頑張っていないからだ」と本気で思い込んでいる。

明日は我が身だと思うと不安なため、ホームレスを努力していない者とみなして安心している。(自分は努力しているので大丈夫、と思い込むため)

もしかしたら全部違うし、それぞれ少しずつ合っているのかもしれない。

いずれにせよ、私は「自己責任」という言葉が大嫌いなので、ここで使われている「自業自得」も好きな言葉ではない。

ひとりの相手のみに責任を押し付けるこの言葉は、一見正論なように見えて思考停止にしか思えないのだ。

本当はよく見ていけば複雑な事情が絡み合っているにも関わらず、「はい自己責任」で片づける。

卑怯だし面倒くさがり過ぎだ。

 

日本と違う!バンクーバーのホームレス

余談だが、バンクーバーで留学中に驚いたことがある。

ホームレスの数とその態度だ。

バンクーバーは、基本的に自然と都市が共生した綺麗な街なのだが、ダウンタウンにいるホームレスの数は東京の非ではなかった。

1ブロック置きに一人は必ずいる、といった具合。

しかも彼らは、日本でみかけるホームレスと違って、堂々とお金や食べ物をせびりに来るのである。カフェにも入ってきてドーナツを欲しがるし、電車にも乗ってきて(まだ自動改札がなく、簡単に出入り可能だった)「I’m hungry」とか言ってくる。

通行人や乗客の様子はというと、もちろん無視を決め込む人々もいるが、実際に食べ物やお金をあげる人を見かけるのも珍しくない。

路上で見かけるのは、ホームレスを連れてカフェに入り、好きな食べ物を注文させてあげる人だ(女性がやっているのをよく見かけた)。

バンクーバーのホームレスは薬物中毒者が多いため、お金を渡すと結局ドラッグに使ってしまう可能性が高いからだ。

そんなところまで考えて、ホームレスに寄付をする人々がバンクーバーにはいた。

日本では、文化の違いからか、露骨にお金や食べ物をせびるホームレスは少ないし、通行人も見て見ぬふりをする、ということが多い。

でも、そんな中でも、彼らの身の心配をしている人もいるはずだ。

助け方がわからないままに、ただ身を案じるしかない人々が。

 

まとめ

ホームレスは自業自得という考え方はやめて、その一歩先を考えて欲しい。

「自業自得」だ、と思うとそこで思考が停止してしまう。

現実問題として、自業自得でなくホームレスになった人がいる。どうすればいいか?

すべてはそこからな気がする。散々偉そうに語っておいて、私もまだスタート地点に立ったばかりであったりするのだが。