「不安」や「寂しさ」は拭うものではなく、抱きしめるものだった話

こんにちは。

このタイトル、ミスチルの歌詞にありそうだなあ。ぶきっちょです。

突然だが、あなたは日常生活で「不安」や「寂しさ」を感じることが多いだろうか。

私は多い。

ものすごーく多い。

何かに夢中になっていたり、相当忙しくしているときは平気だが、

ひとりで暇を持て余している時や、

仲の良い友達と遊んでいる時や、

家族と楽しくご飯を食べている時や、

恋人とデートしている時や、

こうやってブログを書いている時など、

楽しんでいる最中であっても、ふとしたときに「不安」や「寂しさ」が押し寄せてくることがある。

程度の差はあれ、そういう瞬間は誰にでもあるのではないだろうか。

そんな「不安」や「寂しさ」をどうにかして払拭したいと考えている人に、ぜひ読んでみて欲しい本がある。

悩める友人が教えてくれた一冊の本

この前、出張で東京にやってきた台湾の友人と久しぶりに会った。

私がニートデビューしたことを話すと、彼は肯定的な反応を見せながら、「僕も今の仕事を辞めて、今後どう生きていくかを考えるつもりなんだ」と話してくれた。

お互い三十路手前で、「悩める時期だよね」という話で盛り上がり、私が結構不安を抱えながらニートをしている(会社員のときもずっと不安だったけど)、ということを打ち明けた時だった。

「この本を読んだことない?おすすめだよ」

と教えてもらった本が、これだ。

台湾では、日本の本も翻訳されて結構色々売られているらしい。

「ありがとう、読んでみるよ!」

というわけで、早速読んでみたのだった。

本を読んで気づいたこと

不安とさびしさ2

切っても切り離せない「不安」と私たち

不安が押し寄せたとき、私たちはそれをなんとか「抑え込もう」としたり、そこから「逃れよう」と思いがちだ。

でも、それをやればやるほど「不安」は大きくなっていく。

「抑え込もう」「逃れよう」と思うことで、余計に強く意識してしまうからだ。

そうではなく、大切なのは「不安」の根源と向き合うこと。

失敗するのが不安なら、起こり得る最悪の事態を冷静に考え、それに対処する方法を考えておけば良い。

将来への不安など、漠然とした「不安」については考えていても仕方がないため、「今起きていること」にひたすら向き合うことが大切となる。

私たちが生きるうえで「不安」という感情は、外すことができない必要な要素だ。

「不安」があるから、失敗に備えたり、今と向き合うことができる。

「寂しさ」はあって当たり前

「寂しさ」も同じだ。

寂しいという感情は、自分一人が感じているものではなく、誰もが抱える当たり前の感情なのだ。

そんなことはわかってるけど、寂しいものは寂しいんだよ!

と思ったあなたは、私と仲良くなれるかもしれない。別にいいって?寂しい…。

私がこの本を読んでいてハッとしたのは、次の部分だ。

もしここに、「将来、独りになったらどうしようと不安です」とつぶやく人がいたら、僕は即座に答えます。
「ちょっと待って。将来、独りになったらどうしようじゃなくて、あなたはもうすでに独りだし、これからもずっと独りだよ」
(『愛さなくてはいけないふたつのこと』82頁より)

私が人と一緒にいても「寂しい」と感じるのは、「今は一緒にいるけど、どうせ独りになるんだ…」という不安のせいだと思っていた。

もちろんそれも大いにあるのだが、それだけじゃなかった。

そうか、もともと独りだから寂しいのか。

でもって、これからも同じなのか。

そう考えたら、なんかもう良い意味で諦めというか、吹っ切れた感じがした。

無理に埋めようとしなくて良いのね。

結論:そのまま一緒にいるしかない

huann

結局のところ「不安」も「寂しさ」も、消そうと思ってただもがくんじゃなく、いったん受け入れることが大事なのだと思う。

そのうえで、自分ができることに対してはちゃんと向き合い、あとはもう「お前らしょうがねーなー」みたいなノリで仲良くするしかないんじゃないだろうか。

某キャプテン翼みたいに、「不安はともだち!こわくないよ」的な。古い?

まとめ

「国が違っても、人間の悩みは共通なんだな」、「皆似たようなことで悩んでんだな」ということがわかり、それだけでもちょっと心が軽くなった。

「不安」と「寂しさ」と仲良くするのが難しくなった時は、またこの本を読み直そうと思う。