私は今、シェアハウス暮らしをしている。
ここの家はもう2年くらいになるし、カナダで留学中もずっとシェアハウスで暮らしていたため、他人との共同生活にはすっかり慣れてしまった。
シェアハウスに住んでいるというと、「同居人とは仲いいの?」と、必ずといっていいほど聞かれる。
2年も暮らしているのだから、仲が悪いというわけではないが、進んで一緒に遊びに行ったりするほど仲が良いわけでもない。
でもほとんど毎日顔を合わせるし、会えば談笑もするし、同じ家に住んでいるため同居人の生活リズムは把握している。
強いて挙げるとすれば、「友達」ではなく、「知り合い」でもなく、「家族」が一番近いのかもしれない、と思う。
私にとっての家族
家族の形は、人によって様々だ。
私の場合は、生まれたときからそばにいて、なんか知らないけど色々面倒を見てくれて、かつ「こうしろ」「ああしろ」と生活を押し付けてくる「世界で一番近い存在」が家族だった。
家族の言うことや家族のルールが生活の真ん中になって、外での行動はそれを元に決められていく。こんな書き方をすると、「なんで厳しい家庭なんだ」と感じるかもしれないが、多かれ少なかれ似たようなことはどこの家庭でもあるんじゃないだろうか。
門限とか、学歴の圧力とか、宗教とか、その家代々伝わる伝統だとか。
そういった家族のルールは、私の知らないところですでに存在していたものであり、それに抗うことは、家族を悲しませることなのだと教えられた。
そう教え込まれたので、私は今でも色んな事に抗えずにいる。
私は家族が好きなので、家族を悲しませたくない。
でも、家族とはいえど他人なので、価値観の違いは当然生まれる。
自分を曲げてまで家族のルールに付き合うのは、自分が無くなってしまうのでやりたくはない。
自分の人生を支え、愛情なるものを与えてくれると同時に、そんな葛藤の対象でもある。
それが私にとっての家族だ。
私にとっての「家族」
では先ほど述べたシェアハウスの同居人はどうだろう?
彼らは友達ではないし、知り合いと呼ぶには遠すぎる気がする。
秘密をすべて打ち明けるわけでもなければ、かといって白々しいほど表面的に付き合うわけでもない。
たまに一緒にテレビを見て、たまに一緒にご飯を食べて、たまに一緒にお酒を飲んで盛り上がる。
そう考えると、うちのハウスの場合だが、「家族」のゆるいバージョン、というのがしっくりくる気がする。
「家族」は「家族」でも、それぞれ育った環境が違うので変なルールは存在しない。縛りもない。
また、それぞれが自立した大人なので、自分のことは自分でやる。余裕があれば、他人も助ける、といった環境が作られる。
結果、家族関係から「干渉」や「縛り」をなくしたものが、うちのハウスの「家族」だ。
「干渉」がない分、病気になったときなどに家族ほどの手厚い看病は受けられないが、それがいいか悪いかは人によるところだろう。
まとめない
最近、家族というものについてよく考える。
今は離れて暮らしているが、家族だからお互いの健康を心配するし、家族だから連絡を取り合う。
「家族」ってずっと一緒に暮らしていたから家族になるのか?
血のつながりがあるから家族になるのか?
血のつながりがなくても素敵な家族はいるから、血は全く関係ないのか?
「無償の愛」を受けて、受けた側も「無償の愛」を感じられたら家族になるのか?
「無償の愛」って何なのか?
色々書いてみたが、まったくまとまらないので、まとめない。
今度数少ない友人にも話をしてみようと思う。