こんにちは。
先日、めでたく30歳を迎えたぶきっちょです。
誕生日当日は両親と熱海へ行ってきたのだが、旅行中は色々と腹を割って話すことができたように思う。
その中でも、衝撃的(?)だった話を紹介したい。
そう。私は心が狭い
コトの発端は、夕食で良い感じに酔っ払った私が、恋人の話をしたことだった。
恋愛話を普段親にすることはないため、興味津々な彼ら。
どんな人で、何をしている人だとか、投げかけられる質問に答えながら私はこう続けた。
「ずっと大切にしていきたいんだけど、心配なんだよね。私、心が狭いから…」
こんな相談をするつもりではなかったのだが、つい口からでてしまった。
そう。
堂々と言うことでもないが、私は心が狭い。
基本的に自分の気持ちを優先してしまうし、嫉妬心も強い。
挙句の果てには、自分の思い通りに物事が進まないと苛々してしまう。
誰かと末永く素敵な関係を続けていくには、そこをどうにかしないといけないのでは、と前から感じていたのだ。
衝撃的な両親の反応
「心が狭いから…」
と心配を告白した私に対する両親の反応はというと、
「まあ…広くは、ないよねぇ…(頷きながら)」
………………。
まず、父も母も私の心の狭さを否定しないことが、今年一番の衝撃だった。
自分が認めている短所であろうと、あらためて他人(しかも身内)から認められるとさすがにショックだ。
咄嗟に自分の殻に閉じこもりそうになったが、心の肯定ペンギンに「短所を認めるなんてえらい!」と言われてグッとこらえることができた。
心を広くするには?を訊いてみた
両親から「心が狭い認定」を受けた衝撃を引きずりながらも、
――これは一番身近な人生の先輩に、アドバイスをもらうチャンスだ!
と無理やり前向きにとらえて訊いてみた。
私「父よ、心を広くするにはどうしたらよいのでしょう」
父は一瞬考えた後、今は亡き祖父の話をはじめた。
祖父は自分が病に伏している間も、常に周りのことを気に掛けていたという。
見舞いに訪れた父に言うことはいつも、
「○○(祖母)の様子はどうだ」
「△△(親戚の家庭)はみんな元気にやっているのか」
などで、愚痴などの自分の話は一切しなかったという。
そこまで話したところで、父はこう締めくくった。
父「つまり、心を広くするには?なんて考えなくて良いんだ」
私「へ?」
父「そんなことより、何のために生きたいか、を考えることが大事なんだと思う」
私「何のために生きたいか…」
アドバイスを踏まえて、考えてみた
翌朝、素面となった頭で、父の言葉の意味をもう一度考えてみた。
「何のために生きたいか」=「人生で何がしたいのか」
ということだと思う。
心が狭い状態というのは、言うなれば自分の半径30センチくらいまでしか見えていない状態ではないだろうか。
そんな中で行った意思決定は、自分本位でしかないに違いない。
でもその時、
「そもそも人生で何がしたいのか」
を思い出すことができたら、ぐっと視界が広がるはずだ。
たとえば昔、付き合っている相手からのメールの返信が、ある時期からすごく遅くなったことがある。
恥ずかしながら当時の私は、
「私の優先順位が下がったんだな。これ以上傷つかないために、私も相手の優先順位を下げなきゃ」
などと思ったりしていた。
「これ以上傷つかないために~しよう」
なんて、最初から自分を守るための思考回路に入っていて、相手状況や気持ちをまったく想像できていない。
もし私が「そもそも何がしたいのか」=「恋人と良い関係を築きたい」ということを思い出していれば、そのためにできることを考えて行動でき、その後の関係性にも変化があったかもしれない。
まとめ
というわけで、心の狭さが表れてしまいそうな状況になったら、「そもそも何がしたいのか」を思い出すようにしたいと思う。
恋愛関係に限らず、すべての対人関係において「そもそも相手とどうありたいのか」を考えることが、
「素直に気持ちを伝えた方が良さそう」
とか、
「今はそっと見守っておこう」
といった、感情的でない冷静な判断につながるのではないだろうか。