10年以上も前から使われている『LGBT』という言葉。
それが最近になって、よりメディアなどで取り上げられるようになってきた。
数が増えたわけではない。
言えずに隠している人が多い中で、ほんの少しずつだけれど、自分を出せる人・自分の本当の感情に気づく人が増えてきているのかもしれない。
LGBTとは?
L : lesbian(レズビアン)…女性の同性愛者
G :gay (ゲイ)…男性の同性愛者
B : bisexual(バイセクシャル)…両性愛者
T : transgender(トランスジェンダー)…身体の性と心の性が一致しない人
LGBTの人口
LGBTに当てはまる人は、7.6%。(電通ダイバーシティ・ラボの「LGBT調査2015」より)
約13人に1人の割合だ。
学校で1クラスに40人いるとすると、3人はLGBTの人がいる、ということになる。
そう考えると、意外に多い。
大学時代に初めてLGBTを知る
LGBTという言葉を初めて知ったのは、他大の文化祭に行ったときだ。
そこであるサークルの出し物(創作ドラマ)を見る機会があり、それがLGBTの生き方をテーマにしたものだった。
マイノリティ(少数派)であるLGBTの人々が普段生活していて起こる、辛いことや悲しいこと。それをドラマ仕立てで表現しているものだった。
そのサークルの部員はみんなLGBTに当てはまる人達で、実体験をもとに作っているらしかった。
今まであまり気にしたことがない事柄だったため、「ああ、こんな風に感じて暮らしているのか」と素直に見入ってしまった記憶がある。
LGBTに対する友人の衝撃的な発言
その文化祭に一緒に行った幼馴染が言った一言で、忘れられないものがある。
ドラマの上映が終わり、サークルの人たちが「LGBTがより生きていきやすい社会を作りたい」という思いを込めたプレゼンテーションをした後に、ぽつりと。
「別に権利とか主張しないで、ひっそりと好きにやってればいいのにね」
さらっと、真面目な顔でそう言った。
そこには悪意もなければ、LGBTに対する嫌悪感などもない。
単純に「なんでそうしないんだろう?」という疑問から出た言葉のようだった。
このときはただ驚いてしまって、何も言うことができなかった記憶がある。
LGBTについて思うこと
前述の幼馴染のような人に会うと、当事者でなく、身内や周りにもいない人にとっては、LGBTが抱える悩みなんて所詮他人事なのか、と感じることがある。
でももう少し、想像力を働かせてみてもいいんじゃないかと思う。
もしも同性愛が多数派の世界で、自分が少数派である異性愛者だったら、「権利を主張しないでひっそりと暮らす」ことに満足するだろうか。
陰でこそこそ異性と会い、町を歩くのにも気を使い、友人や家族にも堂々と恋人を紹介できず、バレたら差別を受ける危険もあるような社会。
私は、そんな社会で生きていきたくない。
現在、渋谷区の同性パートナーシップ条例や、世田谷区が同性カップルに対して公的書類の発行する方針を固めるなど、徐々にLGBTに対する公的な取り組みが進んできている。
これは、文化祭で見たあのサークルの人たちや、他のLGBTの人や、共感者たちが地道な活動を続けていった結果だと思う。
傷つくこともあるのに、「おかしい」と思うことに対して戦っていくその姿勢を私は、素直に格好いいと感じる。
LGBTの人も、そうでない人も、のびのびと過ごせるような社会になっていくといいな。