日本人移民の街!リッチモンドにあるスティーブストンに行って、そこでの生活に思いを馳せてみた。

こんにちは。
バンクーバーを旅行中のぶきっちょです。

バンクーバーの周りには、のバーナビー、リッチモンド、サレーといった名前の都市がある。

その中でもリッチモンドはアジア系(特に中国)の移民が多く、バンクーバー市内とはまた違う雰囲気の場所らしい。

スティーブストン

一度も行ったことがなかったため、今回はリッチモンドのスティーブストンという街へ出かけてみることにした。

スティーブストンってどんな街?

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スティーブストンは、バンクーバーから電車とバスを乗り継ぎ、約1時間ほどで行くことができる港町。

漁業で盛んで、かつては缶詰工場がたくさんあった。

そのため、戦前には日本人や中国人などの漁師や缶詰工場に働きにくる人々が集まり、定住していったという。
現在でも、日系人のコミュニティが存在している。

活発な漁港であり続ける傍ら、今ではすっかり観光地化してしまっている面もある。
確かに観光客は多いが、その分市場も賑わっていて楽しそうな雰囲気だ。

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甘エビ!言えば試食もできる。

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切り身じゃない鮭を初めて見たかもしれない。

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ウニもどーんと丸ごと売られている。3つで10ドル!

博物館で日本人移民の歴史を知る

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漁港の雰囲気を楽しんだあと、郵便局に併設されているスティーブストン博物館にも立ち寄ってみた。

無料で見学ができる館内には、当時使用されていた本や道具・剣道着などが飾られていて、写真付きのパネルに詳しい説明が書かれている。
そこには、19世紀後半から遠いカナダの地に移民してきた日本人達の軌跡が、たくさん残されていた。

ちなみに、スティーブストンへ移住したのは和歌山出身者が多かったという。
1972年にはスティーブストンと和歌山市は姉妹都市となり、友好関係を持っているそうだ。全然知らなかった。。

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漢字を練習するコーナーがあったため、ちょっと書いたりしてみた。(下手くそか

漁港を眺めながら、当時の暮らしに思いを馳せてみる

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100年に渡って独自の文化が築き上げられていった日系移民の街。

缶詰工場で働く人々やその家族たちの生活環境は、決して良いものではなかっただろう。そんな中でも、昔の写真の中には楽しそうに過ごす子供たち、大人たちの姿があった。

しかし、第二次世界大戦時、日系人は漁船などを没収され、収容所に移住することを迫られたという悲しい事実も存在する。

カナダ市民として暮らしてきたにも関わらず、突然敵として扱われる悲しみややるせなさは想像もつかなかった。

こういう理不尽な出来事や悲しみは、今も昔も、知らないだけで色んな場所にあるのだろうと思う。もちろん、その中で強く生きる人々の姿も。

まとめ

正直、訪れるまでは「スティーブストン=魚介が美味しい!」という情報しか知らなかった。

実際に行ってみると、日本人と関りが非常に深い街であることがわかり、感慨深いものがあった。

また一度も訪れていない方は、ぜひ行ってみて欲しいと思う。