東京育ちの私が、十日町雪まつりの手伝いをして感じた5つのこと

雑記

yukimaturi

こんにちは、ぶきっちょです。

2月17日~19日に新潟県十日町市で雪まつりが行われ、機会があってお手伝いをすることができた。

その中で色々と感じたことがあったので、まとめておこうと思う。

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十日町雪まつりとは?

雪を楽しもう!という住民の思いから昭和25年に始まったお祭りで、今年で68回目を迎える。

音と光のスペクタクル「雪上カーニバル」を始め、市民による「雪の芸術作品」、温かいおもてなしが溢れる「おまつりひろば」など、見所はたくさん。

日本で初めて住民が主体となり雪まつりを行ったことから、十日町市は「現代雪まつり発祥の地」として知られている。

何を手伝ったか

おまつりひろばの設営、雪像づくりに参加。

朝から集まって、近所の人たち皆で一緒に準備を進めていった。

ぶきっちょの祭りスペック

<お祭り手伝い経験>
なし
<お祭り参加経験>
小学生のときは遊びに行っていたが、人混みが苦手になってからはあまり行かなくなった。
<協調性>
ゼロ
<手先>
不器用

 

こんな感じのため、初めてのことをやるというワクワク感と、「ちゃんと手伝えるだろうか…」という不安を一緒に抱えながらの参加となった。

雪まつり手伝いで感じたこと

①みんなの真剣さ

一番印象に残っているのが、「みんなが真剣だったこと」だ。

お祭りの準備なので楽しくワイワイやってはいるのだが、その中で、「より良い雪像を作ろう」「来た人がもっと過ごしやすい環境にしよう」と大人がみんなで試行錯誤している姿に、なんだか感動した。

「仕事でもないのに、なんでそんなに真剣なんだろう?」

恥ずかしながら、最初そんな風に感じてしまう自分がいた。

でも、中学・高校時代の文化祭を思い出し、「そういうことじゃないんだ」と気付く。

「お金になるから頑張ろう」とか、「お金にならないから適当でいいや」とか、そんな損得の考えは関係なくて、「自分たちが作り上げた文化・作品を見てもらいたい」「来た人に楽しんでもらいたい」「自分たちも一緒に楽しみたい」という気持ちでみんなが動いていた。

大勢で何かを作り上げた経験が乏しい私は、懐かしいものに触れたような、なんだか不思議な気分になった。

②近所の人たちの仲の良さ

準備の途中や、終わった後にみんなでご飯を食べたり宴会をしたりしたのだが、すごく和気あいあいとしていた。

家族というか、親戚の集まりっぽい感じ。

今までに経験したことのない雰囲気で、とても新鮮だった。

東京の暮らしでは、周りの人々が無関心でいてくれるほうが過ごしやすかったりするのだが、そのことを寂しく思うときもある。

そんなとき、こういう家族的な集まりがある場所は本当に素敵だなと思う。

③自分の体力のなさ

雪と戯れたのは小学生のとき以来で、雪かきの経験もなければかまくらを作ったこともない。

そんな中、スコップやスノーダンプというものを使って雪をどかしたりしたのだが、ちょっとやっただけで足腰が痛くなる始末。

みんなはガンガンできてるのに、自分はなんて動けないのだろう…と体力のなさを実感した。

snow

④雪像づくりの切なさ

雪像づくりは、なかなか切ない。

大勢で力を合わせて作り上げ、どんなに上手にできた作品であっても、お祭りの終わりとともに壊されてしまうからだ。

でも、だからこそひとつひとつの作品を尊く感じられるのだろう。

すぐになくなるとわかっているものを、一生懸命作る。

これは雪像づくりに限らず、日常生活で誰もがやっていることなのかもしれない。

⑤雪の眩しさ

雪の積もった十日町は、曇りだったり雪が降っていたりすると、ただただ寒くなるだけだ。

でも、晴れの日は違う。

一面に積もった雪に太陽の光が反射して、視界全体が輝いて見える。

すごく綺麗なのだが、眩しすぎてあまり目が開けられないのが残念なところだ。

次に来たときは、サングラスと日焼け止めを用意しようと心に決めた。

まとめ

十日町雪まつりの、「大人が真剣に遊ぶ」感じがとても好きだ。

大人が真剣に遊んでるから、やってくる子ども達もみんなすごく楽しそうで、なんだかとても素敵な雰囲気だった。

これからもずっと続いていくと良いな、と思う。

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