こんにちは、ぶきっちょです。
最近とてもショックな出来事があり、私は淋しく切ない日々を送っている。
でもその出来事を通じて、生きるうえで一番大事なのではないか、と思うことを学んだ。
今回はその学んだことについて、書いていきたい。
これまでの生活
私の性格は、以前書いた『性格診断をやったら、大変なことが判明してしまった』にある通り、「常に周りのことを考えて行動する」ことができるタイプではない。
基本的には自分が好きな時に、好きなことをしようする。
誰かから頼みごとをされても普通に断ったり、引き受けたとしても素直に相手のためにやる、というよりは、「借りがあるから」とか「貸しをつくっておけば後々…」みたいな考えでやっていたりする。
もうこれは性格だからどうせ治らないし、これまでもこの性格でそれなりにうまくやっていけてるのだから問題ないだろう、くらいに思って過ごしていた。
ショックな出来事
それは突然だった。
祖母が亡くなったのだ。
祖母は私が幼いころからよく世話をしてくれ、遊んでくれ、ほとんどずっと側にいた人だった。
もう高齢だったこともあり、そろそろ危ないかなと覚悟はしていた。
でもやっぱり、淋しさは拭うことができなかった。
この前話したときには、「旅行に行きたい」と言っていたのに。
周りの人々
祖母は気が強くて口も悪いけど、優しい人だった。
彼女の周りには多くはないけれど人がいて、入院していたときも、定期的にお見舞いに通う人がいた。
お葬式でも、5時間くらいかけて遠くから駆けつける人もいた。
いなくなってしまったのを実感したときは、私も含めて、みんな心にぽっかりと穴があいたような気持ちだったと思う。
学んだこと
学んだというよりは、実感したこと、と言う方が正しいかもしれない。
それは、「自分の人生にも他人の人生にも限りがある」ということだ。
何を今更、と思うかもしれないが、頭で理解はしていても実感としてこの事実をとらえられている人はどのくらいいるだろう。
それは明日かもしれないし、来年、十年後、五十年後かもしれない。
わからないけど、確実に終わりがくる。
そんな短い人生なのに、あまりにも自分本位に過ごしている今ってなんなんだろう?と考えた。
もっと周りのことを思って行動した方が良いのではないか。と。
別に自分のお葬式に人がたくさん来てほしいからとか、泣いてもらいたいからとか、そういう気持ちは更々ない。
単純に、みんなが持っている短い人生の中で出会ったり、遊んだり、一緒に時間を過ごしたりできることに尊さを感じて、「一緒にいてくれてありがとう」と素直に思えるようになったのだ。
最近では、家族や友人はもちろん、初めて知り合った人や、初めて一緒に遊んだ人にも、「貴重な時間を一緒に過ごしてくれてありがとう」と本当に感じる。
いきなりこれまでの生き方を直すことは難しいので、まずはこの感謝の気持ちを大切にし、実際に言葉と行動でそれを伝えていくようにしよう、と思っている。
最後に、このブログを読んでいただいてる皆さんも、ありがとう。