こんにちは。
4月からニートのアラサー女、ぶきっちょです。
これから始まる無職ライフを楽しいものにしようと色々動き回っていたら、ありがたいことに素敵で面白い人々と出会うことが多くなってきた。
その中の一人が、秩父で小屋暮らしをしている氷川爽助さん。
なんと、土地を20万円で購入し、そこに自分で小屋を建てて住んでいるという。
年齢も近く、すぐに興味を持った。
その未知なる生活を垣間見てきたので、紹介したい。
どんな小屋で暮らしてるのか?
東京から秩父までは電車で大体2時間くらい。
最寄り駅を降り、徒歩だと30分、車だと10分もかからないところにその小屋はある。
着いた瞬間、思わず声をあげた。
「おおお!」
失礼ながら、「自作の小屋」と聞いていたから、テントに毛が生えたようなものを想像していた。
しかし、これはもう完全に、
立派な家だ。
しかも小屋の周りには小さな電灯がいくつも設置されており、夜になるとカラフルに光るというファンタスティックっぷり。
いやいや、まだわからない。
外観はかなりのクオリティだが、中はさすがにたいしたことは…
あった。
めっちゃたいしたことあった。
ソファもあるし、座り心地の良さそうな椅子にパソコンがのった机。
流し台やコンロも。
ロフトをあがると寝室に。
写真を撮らせてもらっている間、「なんということでしょう…」というナレーションとBGMが頭の中に流れてきそうだった。
小屋の側には宴会場も!
小屋周辺の全景がコチラ。
小屋の下には、なんと宴会場まで作られている。
囲炉裏をかこむテーブル、丸太の椅子。
奥には、ロケットストーブにピザ釜まであった。
人が訪ねてきたときは、この宴会場で焚火をしながら飲んだり食べたりするのだという。
全てが手作りで、本当に自然と一緒に暮らしている、という感じの生活だ。
そこに誰かが訪ねてきて、焚火しながら語り合う。
なんか、いいな。
東京で生まれ育った私は、焚火をしたこともないし、都心の外で暮らしたこともない。
でも実際に小屋を見せてもらい、話を聞いているだけでワクワクする。
必要な分の電気と水で暮らす
小屋ではインターネットはつながるし、電気もつく。
どうやっているのかと尋ねると、ソーラーパネルを利用して電気を溜めているという。
1人で暮らす分の電気くらいなら十分まかなえるらしい。
水も、必要になる分を汲んできて使っているとのこと。
本当に必要なものだけで暮らすということは、本当は不必要なものに囲まれて暮らすよりも、身軽でゆとりのあるものなのかもしれない。
集まって焚火するだけでなんか楽しい
昼に到着し、まき割を教わったり、近くの温泉に連れて行ってもらったりした後、
「ここじゃ、あとは焚火くらいしかやることないよ!」
と爽やかな顔で宣告されたため、焚火で鍋をすることに。
車でスーパーに買い出しに行き、連れと私、氷川さんの3人で焚火鍋を囲んで乾杯。
火を絶やさぬよう見守りながら、他愛ない話をしながら、出来上がった鍋をつつきながら、途中でニコ生放送を始めちゃったりしながら、ゆっくりと夜は更けていった。
ひとが3人集まって、火を囲んでご飯を食べるだけで、こんな心地よい時が過ごせるんだな、としみじみ。
こういうのいいなあ、ふふふ。
とか思いながらグビグビ飲んでいたら、恐れていたことが起きた。
・・・トイレに行きたくなったのだ。
未知のトイレとの遭遇
小屋の横にある、藁でできたテントのような物体。
それが、氷川さんちのトイレである。
できるなら、行かずに済ませたいと考えていた(おい)。
しかも今は夜で、足元も見えづらい。
しかし、私の膀胱は破裂寸前である。
「暗いからランタン持って行きなよ」
と渡されたランタンを携え、覚悟を決めていざトイレへ。
・・・
こうして私はまた、新たな世界に一歩踏み出したのだった。P.S.意外といけました。
シンプルに暮らすということ
私は、周りの友達に比べて物を多く持っているほうではない。
つい買ってしまうものといえば、本や漫画くらいのものだ。
それでも、私の部屋は物で溢れている。
中には、不必要なものもたくさんある。
「捨てようかな?」と思っても、
「取っておけば何かと便利かも」という曖昧な期待を言い訳にして放っておいてしまうのだ。
それとは対照的に、あまりにもシンプルな暮らしをしている氷川さんに、こんな質問をしてみた。
「小屋暮らしをしている中で、不便で嫌だなと思うことはないんですか?」
すると、彼は真顔でこう答えた。
「不便な方が、工夫できて面白いよ」
「便利すぎる暮らしの中で、自分が何もできなくなっていく方が怖い」
素敵な回答だな、と思うと同時に、その感覚は私も思い当たるところがあった。
ついこの前、私の住むシェアハウスで謎の停電があったり、水道管が折れて水がでなくなったりと、立て続けに色んな不具合が起きた。
そのとき自分にできたことといえば、業者を呼んで見守るだけ、だ。
普段の生活では、「自分の力で暮らしてるぜ!」と一人前の顔をして生きているが、何かが起きた時、何かが壊れた時、実は何もできない。
それって結構不安だ。
じゃあ何も不具合が起きないように、細心の注意を払いながら生きていけば良いのか?というと、それでは窮屈すぎる。
不具合が起きたとしても、自分で対処できるとなれば、そんなに自由なことはない。
シンプルな生活にはゆとりがあるだけでなく、そういう強さもあると感じた。
それを氷川さんに伝えたら、
「そもそも壊れるほど大したものは置いてないけどね。HAHAHA☆」
と爽やかに返されたが。
まとめ
小屋暮らしの氷川さんの素敵なところは、
「俺は今幸せだー!」
「楽しいなー!」
みたいな良い感情を素直に表に出せるところだ。
そのエネルギーに満ちた姿を見ると、なんだかこちらまで楽しくなってくる。
試行錯誤しながら、決断を繰り返しながら、自分のやりたいことを実践してる人の目って本当に生き生きしてるよなあ、と感じた。
私の知らないことや世界は、まだまだたくさんありそうだ。
〇小屋暮らし氷川さんのブログ〇
こんにちは。
村雨と言います。
記事読みました。なんか素敵ですね。
便利な生活だと、それが当然に感じますからね。
あえて不便にする事で工夫する知恵が生まれますね。
個人的には、薪割りをしてみたいです。
かなり貴重な体験かも・・・・・・。
読んでいただきありがとうございました。
こんにちは、村雨さん。
コメントありがとうございます。
自分が心地いいライフスタイルを送ることが幸せですよね。
薪割体験、ぜひしてみてください!