(『アラサー女が会社を辞めて無職になるまで②【新入社員編】』はコチラ)
新入社員として働き始めてすぐ仕事に嫌気が差し、「25歳になったら留学しよう」と考えた私。
細かい計画があったわけではない。
25歳という年齢は区切りが良いような気がしたし、3年後というのが近すぎず遠すぎずで、思い描きやすかったのだ。
目次
会社員になってからの3年は、まるで光のように
大いなる息苦しさを感じながらも、私はOLとして月から金まで黙々と働き続けた。
一週間の大半をやりたくないことで縛られている生活。
最長でも1週間くらいしか旅に出られない生活。
土日だけ好きなことをやって遊んでも、連休を取って海外をささっと旅しても、
「違う生活がしたい」
という思いが消えることはなかった。
そう感じながらも、目の前の仕事をひたすらこなすことしか出来ない日々。
なんやかんやで3年間はあっという間に過ぎ、気が付いたら25歳になっていた。
留学先はカナダ一択
昔からずっと、暮らしてみたかった国がある。
カナダだ。どーん。
高校の頃アヴリル・ラヴィーンを愛していた私は(あのツンツンした感じがたまらないよね)、
「彼女が生まれた国に行ってみたい!」
という強い思いがあり、18の夏(いい響きだ…)に1ヵ月だけトロントに語学留学をした。
海外に1人で行くのも初めてだし、日本人以外とちゃんと話すのも初めてで、刺激ばかりのそれはそれは濃い1ヶ月だった。
そして、
「1ヶ月じゃ全然足りない!必ずもう一度トロントに来て、もっと長く住んでみよう」
と思っていた。
辞めるつもりがまさかの休職に
25歳になり、会社をすっぱりと辞めてカナダに行こうと意気込む私。
しかし、その話を聞いた両親は猛反対。
「せっかく入ったのに会社辞めるとか馬鹿じゃないの」
「帰ってきてからどうするんだ」
「簡単に再就職できると思ってるのか」
とマシンガンのように精神攻撃を仕掛けてくる。
私は私で、自信を持って突っぱねれば良いのに、そこまで両親にグイグイ来られると何も言えず。(弱すぎる…)
「どどどうしよう…」
と知人に相談すると、
「ぶきっちょの会社だったら、留学のための休職制度がありそうじゃない?」
とアドバイスが。
ほほう。
休職が可能で、とりあえず籍を置いておけるなら、両親も反対はしないだろう。
というわけで早速人事に問い合わせると…
『自己啓発による休職』
というのが制度上認められていることがわかった(実際に利用する人はほぼいないらしいが)。
大学院や専門学校に通うなど、あくまでも勉強が理由であることが前提で、許可さえ下りれば最長3年間くらい休めるらしい(もちろん無給)。
こうして私は、会社を休職してカナダ留学をすることにした。
バンクーバーで13ヶ月生活してみた
行先トロントじゃないんかーい!とツッコんだあなた。
ちゃんと読んでくれてありがとう。
私は翻訳を学びたかったのだが、翻訳の学校がトロントではなくバンクーバーにあったので渋々行先を変更したのだった。
13ヶ月のバンクーバー滞在は、こんな感じで過ごした。
入国
→語学学校(4ヶ月)
→アメリカ・カナダ国内をぶらぶら旅(1ヶ月)
→カレッジ:通訳・翻訳コース(6ヶ月)
→インターンシップ:語学学校のレセプション(2ヶ月)
→帰国
バンクーバー生活では、語り尽くせないくらい色々なことが起きた。
支配的なやばいオーナーのいるシェアハウスに住んでしまって、引っ越しの日まで住人同士でひたすら支え合ったり。
カレッジに入ってからは、大学受験のとき以上の勢いで勉強したり。
疲れた時にひとりでビーチに行ったら、泣けるほど夕日が綺麗だったり。
惚れた腫れたで泣いたり笑ったり。
自分の翻訳が載ったフリーペーパーを手にして、震えるほど喜んだり。
本当に濃い出来事盛りだくさんの13ヶ月だっだが、感覚としては3ヶ月くらいの長さしかなかった。本気で。
行く前は「1年くらい住んでみたら満足するだろう」と思っていたが、「もっと長く住んでみたいな」という気持ちを抱いたまま、帰国の日を迎えることになったのだった。
カナダ素敵だぜ!と思った3つのこと
せっかくなので、カナダでグッときたポイントをまとめておこうと思う。
①店員の雰囲気がゆるい
カフェでもスーパーでも服屋でも、とにかく店員がゆるい。
変にへりくだった感じや、緊張感がないのだ。
何人も後ろに並んでるのに、レジの店員が目の前のお客さんと楽しそうに雑談していることもあった。
「お客様!ようこそいらっしゃいました!」
みたいな雰囲気が苦手な私にとって、あの自然な接客はすごく好きだった。
②職場の雰囲気がゆるい
これは職場にも寄ると思うが、私がインターンを経験した語学学校はとにかくゆるかった。
レセプションなのに、疲れると「ちょっとコーヒー飲んでくる」みたいな感じでちょいちょい席を立つスタッフはいるわ(忙しい時は助けに戻ってくる)、
マネージャーが差し入れしてくれたドーナツをレセプションしながら食べるわ、
(「ここで今食べていいの?」と聞いたら、「だって、お腹すいたら仕事に集中できないじゃない!」と真顔で返された。ちなみにその人は仕事がめっちゃできる)
ちょっとでも体調が悪そうなスタッフがいると、みんなで「早く帰れよ!」って言うわ。
とにかく、ゆる楽しい感じの職場なのだった。
③「もう〇歳だから」とか誰も言わない
現地の色んなサークルやボランティアに参加してみたが、年齢を言い訳にして何かを諦めている人には一度も出会わなかったように思う。
「もういい歳だから」とか「この歳になったら〇〇すべき」みたいなことを言わず、自分がやりたいことを楽しそうにやっていたり、やりたいことをやるために頑張っている人をたくさん見てきた。
まとめ
留学を終える頃には、これまで自分を縛り付けてきた「常識」が、場所を変えれば「非常識」でしかないことを実感していた。
日本にいる間は、その社会にしかない「常識」が全てになってしまう。
会社で働いている間は、その会社にしかない「常識」が全てになってしまう。
その「常識」が自分に合わなくて苦しいと感じるのであれば、そこから脱出すれば良い。
それは逃げなんかではなく、違う「常識」を取ったという、立派な選択行為だ。
メンタルを病むとその事実を忘れそうになるが、そんなときはバンクーバーでの面白い出来事や、出会った素敵な人々の話を思い出すようにしている。
次回、『アラサー女が会社を辞めて無職になるまで④【退職編】』に続く。