「どうしよう」という不安は「こうしよう」に切り替えると良さそうという話

こんにちは。
最近海外ドラマの「メンタリスト」を見ていて、将来はCBIにでも入ろうかと思っているぶきっちょです。

人間とは不思議なもので、抱えていた不安が解消されるとまたすぐ新しい不安を抱え始める。

生きる上で必要なリスク回避のための本能なんだろうと思いつつも、体調を崩すほど不安になるのはどうにかならないだろうか。いや体調はまだ崩していないのだけれども。

どんな環境であっても、不安がなくなることはないのだなーとしみじみしている今日この頃なのであった。

3年前と現在の違い・共通点

例えば3年前と現在を比べると、状況も環境もガラッと変わっている。

3年前・・・職なし、恋人なし、住む場所迷子

現在・・・職ある、夫いる、住む場所定まっている

だからもちろん、不安の内容も変わっている。と思いきや・・

3年前の不安・・・仕事見つからなかったらどうしよう、ずっと独りだったらどうしよう、居心地の良い住居が見つからなかったらどうしよう

現在の不安・・・仕事クビになったらどうしよう、夫が出て行ったらどうしよう、この家に住めなくなったらどうしよう

はい。ほとんど変わってないという。

本気で悩んでいるわけではないのだが、日常のふとした瞬間に漠然とした不安感に襲われる。

「まだ起きていないことを心配しても仕方ない。今、そうならないようにやれることをやるしかない」

と頭で理解していても、心はなんだかざわついていたりする。

「どうしよう」ではなく「こうしよう」に変えてみた

まだ起きていないことで「どうしよう」と不安になったときは、「こうしよう」というシミュレーションをしてみたらどうだろうか。とふと考えた。

例えば、

仕事クビになったらどうしよう→ゆっくり転職活動しよう/ それを機に自分で何かを立ち上げよう

夫が出て行ったらどうしよう→ちゃんと話し合って戻ってきてもらおう/ 傷心の勢いで世界一周ひとり旅でもしよう

この家に住めなくなったらどうしよう→一旦実家に避難しよう

うん、悪くないぞ。

「どうしよう」で不安を宙に浮かせておくよりよっぽど心がざわつかないぞ。

あとは「こうしよう」を、一応実行できる状態にだけしておけば完璧だ。

結局、「自分はこんな時にこれができる」という思いが強みになる

現在自分が置かれている環境や状況というのは、自分の力だけで得られたものではないし、同じように自分の力だけで継続できるものではない。

「継続したい」と思うならそれなりの努力が必要だ。しかしそれなりの努力をしていても、どうにもならない外的要因も必ず存在する。運とかタイミングとか、コントロールできないものたちが。

なのでそのコントロールができない部分は諦めるしかなくて、「コントロールができない状態で自分は何ができるか」というのが重要になってくる。

最近、無人島に住んでみた系のYoutube動画をよく見ているのだが、あれだってそうだ。

「食べる物も飲む物も、全部自分で探さないといけないような状況になったらどうしよう」という不安が出てきた時に、無人島で過ごした経験があれば「そんな状況に陥ったとしても、自分は泳いで魚を取りに行けるし、生えている草も食べられる。そうすれば良い」と思えるだろう。

コントロールできない中で、コントロールできることを使っていかに自分を楽しい状態にできるか。

結局、その力を持っている人が一番強いと思う。

まとめ

だらだら書いてしまったが、何が言いたいかというと人生楽しみたいよね、ということ。

ちなみに3年前のちょうど今日を振り返ると、以下の記事を投稿していた。

人生なんて退屈しのぎ。“スカイクロラ”を読んで安心するのは私だけじゃないはず

やっぱり、3年前から基本的な考えの部分は変わっていないなあと思う。