どうも、ぶきっちょです。
最近、というか暇ができれば考えるのが、「残りの数十年どうやって生きようかな」ということだ。
ざっくり70歳まで生きるとして、あと約40年。
1年なんてこんなにも早く過ぎていくのに、これをあと40回くり返したらこの人生は終わるわけだ。病気や事故などに巻き込まれたらもっと早い。
やりたくない仕事を「安定しているから」と我慢しながら続けている私は、しばしば「このままじゃだめだ」と感じては衝動的に辞めたくなり、そのあと冷静に「生活の目途が立つまでもうちょっと待とう」と考えることを繰り返している。
そんな私はある日、本屋で素敵な小説を見つけた。
『れんげ壮』との出会い
著者は、群ようこ。
映画「かもめ食堂」の原作者だ。映画のほうは好きで何度も見返していたものの、原作を読んだことはなかった。
『れんげ壮』のあらすじは、ざっとこんな感じ。
バリバリのキャリアウーマンだったキョウコは、ただただ忙しいだけの日々にうんざりして四十五歳で会社を退職。月三万円で住める、ボロボロだけれど情緒漂う古いアパート「れんげ壮」で暮らすことを決める。ブランド物に囲まれたそれまでの生活と180度違う環境で、他の部屋に暮らす個性豊かな人たちと触れ合いながら、生活の中の小さな幸せを見つけていく。
月十万で生活するということ
小説の中でキョウコは、それまで必死に貯めてきた貯金の中から、月十万円だけおろして生活することを決意する。
アパート代を引いたら残るのは七万円。自炊は当たり前だし、娯楽品を衝動買いもできない。さらに、れんげ壮の風呂・トイレは共同だからいちいち部屋を出ねばならない。でも、隣人にいらない家電をもらったり、たまには一緒に外食をしたり。自炊続きの毎日の中で、素敵な喫茶店でちょっと贅沢なコーヒーブレイクを取ったり。健康にも気を使って、野菜は高くてもオーガニックのものを選んだり。使えるお金は少ないけど、キョウコはその中で人との繋がりや、自然との触れ合いの楽しさを知る。
月十万円で暮らす、というと、節約まみれで何も楽しいことがない、というイメージが沸くかもしれない。でも実際には、上手くやりくりをして、贅沢すべきときに贅沢し、節約すべきときは節約する。キョウコはそうすることで、心の豊かさを保っていた。
それは、毎日働きづめで、そのストレスから月三十万も四十万も浪費して日々を過ごすよりもずっと人間的な生活だと思う。要は、心が満たされているかどうかが大事なのだ。
食と生活
「かもめ食堂」でも感じたが、群ようこの作品では「食」を大事にしているように感じる。
「れんげ壮」でも主人公・キョウコが、天然酵母パンとじゃがいもと豆のサラダとコーヒーで、しっかり朝食を取っている様子が描かれている。
毎日適当に選んだ安い食材を、適当に炒めたりゆでたりして適当に食べている私には、ここから学ばねばならないことがあると感じた。食に対して意識が低いということもあるが、せっかく色々美味しいものがあるのに楽しまないのはもったいないのかもしれない。
オーガニックとか米粉のパンとかはちょっと高めの値段だが、美味しいし健康にいいのを知っている。それを我慢して節約して、お菓子を買うってどうなんだろう?図書館に行くのが面倒だからと、本屋で衝動買いしてしまう本などを思い出す。
もっと生活の中で食を大事にしよう。三度の食事が少し楽しいものになったら、生活にも少し変化が訪れそうな気がする。
まとめ
私がこんなにも「れんげ壮」に惹かれるのは、「月十万円で、心穏やかに楽しく暮らす」という部分と、その中で描かれる人間模様によるところが大きい。
現在私はシェアハウスに住んでいるが、やはりここでも「れんげ壮」のように触れ合いや助け合いが日常の中で自然に起こる。ちょっとしたことでイライラすることもあるが、やっぱり人がいるっていいな、と思うことのほうが多い。
アラフォーになってもシェアハウス住まいを続けるのか?それとも何か他のことを始めるのか?今はわからないが、キョウコを見習って、毎日の中の小さな幸せを感じられる心の余裕は持ちたいなと思う。