こんにちは。
三十路になって約半年が過ぎようとしています、ぶきっちょです。
今日は、とりとめのない話というか考えをただ書こうと思う。
テーマはずばり、若さと今とこれからについて。
若さとは何か
基本的に若さとは相対的なモノだ。
あの人に比べて私は若さがある。
私よりあの人は若い。
など。
しかし同時に、若さには絶対的な側面もある。
そんな考えでいるなんて、若いね。
今の若い人たちは、大変だよね。
この場合は、一定の指標があったりする。
私の中これまで(学生時代に)持っていた「若い」の範囲は10代~22歳くらいで、
そこから27歳くらいまでが成熟した人で、
それ以上はなんかもう延長戦くらいにしか思っていなかった。
延長戦ってなんやねんって感じだが、本当にその先を想像できなかったのだ。
どう頑張っても、就職して何年か働いて頑張る若い自分の姿まで。
あとは、ひたすらそれが続いていくのだろうということくらいだった。
それからあっという間に、今。
延長戦と思っていた年齢に自分がいる。
なんだこれ。
全然延長戦じゃないぞ。
どんどん新しい試合が始まる。。
今とは何か
「今とは何なんだろう」みたいな思いは、それこそ人生について思い悩み始めた17歳の頃から持っていた。
「なんでこんなことやってるんだろう」
「なんでこんなに息苦しいんだろう」
「みんな何が楽しいんだろう」
「みんななんで大丈夫なんだろう」
好きなアーティストの歌詞に、「今日を人生最後の日のように生きる」というものがあって感動したりもしたけど、
結局それはどうやったらできるのかわからなかったし、今も別にできてない。
これからとは何か
「今」がわかってないのに、「これから」なんてもっとわからない。
そうやって悩んでいるうちに、だんだんと「考えないこと」を覚えていった。
考えようが考えまいが日々は過ぎていくし、それを誰に責められることもない。
でも「これから」は確実に、今の積み重ねでできていく。
人生って何やねん
結局、人生ってなんやねん。
30年経ってわかったことは、
それは人によって「かけがえのない冒険の日々」だったり、
「喜劇」だったり、
「悲劇」だったり、
「ただの暇つぶし」だったり、
「なんとなくあるもの」だったり、
大きく変わってくるということだ。
つまり、どうにでも定義できる大変ふわふわしたものということだ。
自分の人生はどういう人生だ、と定義したら楽しいかな?
定義したとして、どうしたらそれができるかな?
どこまでだったら、頑張れるだろうか?
そんなことを考えた。
まとめ
これからの人生で今が一番若い、とはよく言ったものだ。
これも相対的な話で、未来の自分と今の自分を比べれば、の話。
今できていることが未来はできなくなるかもしれないから、今何をするのが楽しいだろうか。
「今しかできないことを!」とか思うとなんとなく疲れてくるから、
結局「やりたいことはなるべくやって、大切にしたいと思うものは大切にしよう」という当たり前の結論に落ち着く。
全然まとまりのない文章だが、ひとまずまとめたということで完了としてみる。